油掛地蔵

嵯峨近辺

下の画像は 峨天龍寺油掛町 にある 油掛地蔵さんの お堂 です。
近隣の人たちが集まる 集会所と一緒になった辻堂で
寛政10年(1798)銘で「右あたご 左こくうぞう」の道標があります。
石像は地蔵様と言っても 延慶3年(1310)の銘のある 阿弥陀如来像です。

ろうそく 線香 マッチは備えつけてあり
いつでも気軽に 手を合わせることができます。
お像に掛ける油は切らすこともなく
油を掛ける杓子の柄はべとべとと油がついていることもありません。

このあたりは地名でもわかるとおり 江戸時代は 天龍寺の管理下にあったところです。
そのため その影響がなくなる 明治になるまで 嵯峨の大きな祭の 嵯峨祭には
参加していない地区でした。
嵯峨釈迦堂門前 嵯峨大覚寺門前 などの地域は 大覚寺の影響を強く受けていました。

そして 天龍寺油掛町の東隣の 町名には 天龍寺が付かない 嵯峨中又町
南は 嵯峨折戸町 などとなって 前回お伝えした 下嵯峨地区 になります。
東に流れ南に曲がってゆく有栖川に沿って 嵯峨野地区と区別されます。
江戸時代には 天龍寺の影響を受けていましたが ずっと松尾大社の氏子地区です。

嵯峨祭を 歴史的研究の対象として本格的にとり上げている資料に乏しく
もどかしい思いをしていましたが 最近 (2008年) 嵯峨祭の歩み という書籍を
嵯峨にお住いの 古川 修さんが 出版されました。
とても 参考になります。

油掛け地蔵

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