嵯峨近辺

くずまんじゅう

ダイヤモンド結晶 嵯峨近辺 未分類

下画像はくずまんじゅうです。
指のあとかたをわざと残し こしあんが少し透けて見える
手づくりがこだわりの生菓子です。

帷子ノ辻 (かたびらのつじ) 商店街の小さなお饅頭屋で買いました。
母親の行きつけだった饅頭屋さんで この季節にはきまって買ってくれていました。

以前もお伝えしたことがありますが 家族はこの商店街の近くに住んでいて
今日 数十年ぶりにこの店に訪れ 懐かしいお菓子に出会えたことに大変感激しています。

はっきりと指のかたのついたくず饅頭は 近頃ほとんど目にすることはありません。


いま ダイヤモンド結晶模型について あれやこれやと やっているところです。
15ミリの小さな寸法でも気楽に加工できるようになりました。
以前よりは かなり技術開発はできたとは思っているのですが
まだ 表現がまとまりません。少し時間をください。


ここで 炭素原子のみで出来ているダイヤモンド結晶のイメージについて少し。

このブログではダイヤモンド結晶を4角棒の構造物として表現しています。
他の表現タイプとしては 丸い玉を原子核と見立て
原子核どおしの繋がりを細い棒で表現されていることが多く
私は 少し異質な表わしかたをしているようです。
でも本当は どちらも極めてディフォルメされた表現だといえるのです。

原子とは 原子核の寸法を 1 としたときその 1 万倍の大きさの
モヤッとした電子雲の球体に包まれているというのが
今の量子科学からの概説として耳にする説明です。

電子は粒子として原子核の周りをまわっているのではなく
存在位置がはっきりしない雲状にとりまいているのだとか。

ダイヤモンド結晶は
両手で抱えられる直径1メートルのボールの中心に 1/10 mm の点があり
そのボールが規則的にギッシリ詰め込まれているとイメージできます。

また 原子と我々の用いる寸法との比較として
原子     1個と ゴルフボール 1個の関係は
ゴルフボール 1個と 地球の大きさだと表現されることがよくあります。

春です

多面体 嵯峨近辺 未分類

やっと 春が来たんだという気がしています。

下画像は 今日初めて咲いているのを発見した スミレです。

もう 梅も咲き 河津桜も咲いているのを目にしてはいましたが
私には スミレの花を見ないと 春が来たという実感が持てないのです。
なぜか わかりませんが。

釈迦堂山門石段 2021 2月28日 15:00


下画像は 今年になって作った多面体の作品です それぞれ複数個作っていて その一例です。


材質は 太さ5mm の竹棒です。割りばしではなく 割らずに使える業務用の竹箸で たくさん安価に入手しました。
今年は これを用いて工作をしてゆこうかなと思っています。

新しいやり方の確認をしながら作ったので 製作途中の画像はありません。
製作と 記録の両立は 一人でしていると 困難な場合が多々あります。

大晦日

嵯峨近辺 未分類

下画像は京都市遠景で 真ん中に京都タワーが写っています。
今年 初めて雪が降りました。午後五時ぐらいですが 屋根に少し雪が残っています。
大晦日です。私が撮る風景写真の 今年最後の一枚となりました。

京都タワーがばっちり見えて 私のお気に入りの景色です。
高校生の頃
アポロのロケットはあのタワーより大きいと言って眺めていたのを記憶しています。
アメリカでは月探査の技術開発の最中でした。

奥嵯峨から東山を望む google map→


今年は 米国に対する認識が大きく変わった年でした。

テレビが普及し始めたころのことを思い出します。
アメリカ製のテレビドラマが多く放映されていて
大きな部屋にゆったりとくつろぎ
広いキッチンにある大きな冷蔵庫を開け
でかい紙パックのミルクや
抱えるような容器に入ったアイスクリームを
無造作に取り出す情景が まぶしく見えていました。
アメリカへのあこがれや
羨ましく思う気持ちが膨らんでいった気がします。

そして アポロ11号の成功です
アメリカが偉大な存在であることをつくづく実感させられました。

でも 今はゲーデルの気分です。

1947年12月5日、前世紀で最も偉大な数学者と呼ばれた
クルト・ゲーデルが
アメリカの市民権を得るために受けた聴聞会で伝えようとしたことがあります。

合衆国憲法に矛盾を見つけた。
それは合衆国を独裁政権に変えることを可能にするだろう。
という内容です。
合衆国憲法の理解度確認の質問を想定し 憲法をディープラーニングしたそうです。

その時同席していたアインシュタインを大いにハラハラさせたとのこと。
幸運な状況であったりで 事なきを得て市民権は得られたそうです。

どの条文が論拠になったとかの情報は何も残っておらす単なる伝説です。

でも 今の私はゲーデル気分です。

変なパラレルワールドに紛れ込んだ気分で 抜け出すことができません。

来年は 良い年でありますようにと 心から望む気持ちでいっぱいです。

座禅をしてきました

Excel 多面体 嵯峨近辺 未分類 諸量

朝の天龍寺庭園 ( 2019 7月 27日 5:50am )


天龍寺の暁天講座 ( ぎょうてんこうざ ) で座禅をしてきました。
今年は 7月27日 (土)・7月28日(日) に行われます。

朝 5時30分 受付開始 
6時より 座禅 ( 20分 休憩5分 20分 )
管長の 夢中問答 についての講話を 拝聴し ( 45分 )
そのあと 庭を見ながら 素麺をいただきました ( おかわり もあります ) 。
一般の方がお参りにこられる 少し前のあいだの お庭見物です。

もう 20年以上の 私の年中行事になっています。
100人ぐらいから 200人ぐらいと参加者が増え 今は 300人ぐらいです。
だれでも自由で 参加料はなし 住所をお伝えしておくと 毎年案内が届きます。

直角開き角のちょっとした データと式を載せておきます

角度 入力 変換比 (1)比 (2) 直角開き角変換比 (1)比 (2)
54.735 35.2640.707 210 / 297 63.43426.5650.500 148.5 / 297
角度 入力 変換比 (1)比 (2) 直角開き角 変換比 (1) 比 (2)
54.7356103172453 =IF(A2>45,90-A2,A2)=TAN(RADIANS(C2))=IF(D2<1/SQRT(2),(" "&ROUND(297*D2*2,0)/2&" / 297"),(" 210 / "&ROUND(210/D2*2,0)/2)) =DEGREES(ATAN(TAN(RADIANS(A2))*SQRT(2)))=IF(G2>45,90-G2,G2)=TAN(RADIANS(H2))=IF(I2<1/SQRT(2),(" "&ROUND(297*I2*2,0)/2&" / 297"),(" 210 / "&ROUND(210/I2*2,0)/2))

葛野西通り

05[3,4,3,4] Compounds 多面体 嵯峨近辺

2017年4月21日 に投稿した エピソード
葛野西通り(かどのにしどおり) の Google の地名表記についての追加情報です。
Kuzunonishi Dori になっているとお伝えしていたのですが
今日 調べていると英語版が正しくなっていました。

太秦帷子ケ辻町( うずまさ かたびらのつじちょう )は
Uzumasaka Tabiranotsujicho のままのようですが。

七条七本松という 交差点があります。
京都弁では ひちじょう ひちほんまつ と読みますが 公的な表現は
しちじょう しちほんまつ です。

明治以降の地名記述作業で 地名に対し 思い入れのない人たちが
大きく関与していたようです。
これは 京都だけに限らず言えることですが。

地名遊びをまたやってしまいました。

今 多面体 [3,4,3,4] の制作説明をしようかなと
準備中です。

複合多面体は少しマニアックでしょうし
関心度は低いと思いますので ゆっくり進めてゆきます。』
として そのままでした。
手芸木工の 簡単な例として トライしようと思っています。

広沢の池

嵯峨近辺 未分類

下画像は奥嵯峨の のどかな広沢の景色です。
釈迦堂から東に自転車で10分もかかりません。


芋の子を洗うような 嵐山あたりとは 別世界です。
このあたりの事を載せているガイドブックは ほとんど見かけません。

掲載料が見込める店など 広沢にはどこにもみあたらず
紹介する気がおこらないのかもしれません。

下画像は今日演じられた [ 釈迦如来 ]です。左二人目の婦人は お太鼓が 前結びです。


天気予報がはずれ 三つの松明すべてが すごく良く燃えています。

明日は 涅槃会・お松明式

嵯峨近辺 未分類

今年 初めて すみれの花が咲いているのを見つけました。
嵯峨釈迦堂(清凉寺)仁王門の石段


明日 3月15日に 釈迦堂で涅槃会とお松明式があります。
下の画像は おたいまつしき で点火される 大たいまつの一つで 今製作中です。
この松明が三本立てられ 夜八時頃 夜空を焦がします。雨が降りませんように。


また 釈迦堂の境内にある 狂言堂で 嵯峨大念仏狂言が演じられます。
観覧無料 雨天決行
<公演日程・演目>
●2019年3月15日(金) 15:30~  [ 橋弁慶 ] [ 釈迦如来 ] [ 土蜘蛛 ]

2019年になりました

嵯峨近辺 未分類

明けまして おめでとうございます。
下画像は 2019年 1月1日 00:30am 常寂光寺の 除夜の鐘つき風景です。
100番目ぐらいの鐘つきになっていて ひとかずが 大分減っています。
でも ここ数年で大変 様変わりしていて 正月深夜の嵯峨はかなりの 人出です。



画期的な工作法が見つかりましたと得意げになって発表することはないだろうな と
思ってはいましたが これまでの話題のなさ には恐縮しています。

ハイテクな レイザーや超音波を用いた工作機器などが
比較的安価に 利用することが可能になり
精度の高い加工が 手軽にできるようになってはきています。

でも 私はロウテクでの工作をめざしています。
しばらく 時間をください。

今年も どうぞよろしくお願いします。

お太鼓結び

嵯峨近辺 未分類

下の写真は嵯峨大念仏狂言の公式ウェブサイトから拝借しました。
演目は [ 紅葉狩 ] です

嵯峨大念仏狂言は鎌倉時代に始まったとされ
国の重要無形民俗文化財に指定されています。
1963年に後継者不足で一度途絶えましたが
1975年に地元住民が復活させ
現在 10~80代の保存会員35人が守り継いでおられるとのことです。
■2017年 春季公演
嵯峨釈迦堂(清凉寺)本堂東側(狂言堂改修工事のため)観覧無料 
<公演日程>
●2017年4月8日(土) 13:30~  [ 大黒狩 ] [ とろろ ] [ 橋弁慶 ]
●2017年4月9日(日) 13:30~  [ 花盗人 ] [ 愛宕詣 ] [ 餓鬼角力 ]

私は入院騒動があり 今回 見逃してしまいましたが 幸い5月4日に 退院しました。

京都の 清凉寺 壬生寺 千本ゑんま堂 神泉苑 には 大念仏狂言が伝えられています。
念仏狂言のほとんどは無言劇で 囃子に合わせて演じられています。
その中で「ゑんま堂」だけがほとんどの演目にセリフがあります。
毎年 4月の中旬から5月上旬にかけて
前後して3箇所のお寺で「カン デンデン」 の囃子が響き (神泉苑は秋に)
狂言見物に多くの 参詣人や観光客 地域の人達 が集まります。

わたしは 以前から 太鼓結び問題と名づけて 疑問に思っていることがあります。
それは これらの狂言に出てくる 既婚女性の 衣装に関しての疑問です。
彼女たち(演者は男性) のほとんど全てが お太鼓結びの帯を締めて
結び目が 前に来ていることです。
寛政年間(1789-1801) 頃に描かれた 『江戸風俗図巻』には 町人の妻として
幅広の帯を 前で結んでいる絵があります。お太鼓結びではありません。
お太鼓結びは 文化10年(1813) 頃 深川芸者が 流行らせたといいます。
一般に流行りだしたのは 江戸末期ごろで
既婚者も未婚者もすべて 後ろ結びになっていたそうです。

古来伝統の 前結びと
流行りの お太鼓結びが 全ての狂言堂で見られるということです。
狂言堂でだけしか見られない 少し奇妙なコスチュームの解釈に
今も この太鼓結び問題に もどかしさや もやもやを感じています。

空研ぎヤスリ

多面体 嵯峨近辺 未分類 製作道具

年を取ると 何かと体に不具合が出てくるものです。
今 入院中です。あと数日で退院できるでしょう。
術後 7日目です。
全身麻酔もして かなりの手術だったはずなのに
呆気なく退院になりそうです。先端医療に感謝です。

部屋の外を見ると 東山の山々が近く
ほぼ真正面に 大の字が大きく見えています。

多面体製作では 正四面体を 三角棒で作ってみようかなと思っています。
45度の角度部分を稜とした作品を作ってみたいのです。
断面が直角三角形なので このままではシンメトリーでなくなるので
三角棒に加工を施します。

断面を 45 67.5 67.5 の角度の二等辺三角形にするか
45 90 135 90 の 凧形四角形にするかですが
凧形のほうが 切削量が少なくてすみます。
ただ 断面を左右対称に維持するには 加工難度は上がります。

私のブログでは メインの作業は切削です。
その作業を行うのに 金属製のドレッサーを用いて説明することが多くありました。
現在は 板棒たけでなく 硬い材の角棒にも 紙やすりのドレッサーを使うようになりました。

紙やすりの種類としては 空研ぎヤスリです。
合成樹脂や目詰まり防止剤も一緒に施してあり
かなり長く使用に耐え重宝しています。
色々な番手があるのもいいことです。80番の粗めのものが気にいっています。

取り掛かろうとしている作業は 棒材の形状加工から始まるので
エレガントな 工作法を考え工夫するには 結構大変だと思います。
発表てきるには 時間がかかりそうです。

話は変わって

五月28日に 高校二年生同級の人たちとの同窓会があります。
この分では行けそうです。このような形では初めてなので楽しみにしています。

京都府立嵯峨野高等学校が母校です。
昭和16年に設立され 右京区常盤段ノ上町にあります。
その町名のほぼ全域が学校の敷地で 住居地域はほんの少しです。
西陣で財を築いた富豪が 土地建物を含めての寄付で完成したとのことです。
そのときは 嵯峨野高等女学校で 女子のみの学校でした。
男子トイレが少なかって困ったことを記憶しています。
南東は太秦蜂岡町となり 太秦広隆寺があります。

なんでこのような地域で 嵯峨野という名を学校名にしたのか不思議です。

私の 出身中学校は 京都市立蜂ヶ岡中学校と言い 右京区嵯峨野開町にあります。
嵯峨野地域なのに 蜂ヶ岡です。これも不思議です。

嵯峨野開町の東となりが 太秦帷子ケ辻町です。

二つを合わせると東が尖った三角形になり
その尖ったところが 昔の辻だったことが容易にわかります。
この辻から 油掛地蔵のほうに道が今もつづいています。

私の通っていた幼稚園は
広隆寺の東隣の 太秦東蜂岡町にあり 今の東映映画村も同じ町内にあります。
蜂ヶ岡中学校と同じ嵯峨野開町からの通園です。
広隆寺の西隣の東映撮影所前から 広隆寺をぬけて 道がつづいていました。
自然幼稚園といい お寺が経営していました。今もあります。
お寺なのに 大きなツリーを飾った立派なクリスマスを楽しんだ思い出があります。
広隆寺をぬけるその道や 他にもあったそのような道も 今はないようです。
当時は映画が盛んな時で 撮影所近辺は凄くにぎやかでした。
ある時 子役と思える集団が門から中に入ろうとしているのに
出くわすことがありました。園から ぶらぶら帰る途中です。
その時 撮影所に紛れ込むことができました。
今でしたら バスでの送迎や親の送り迎えがあるので真面目に帰るしかないのですが
子供たちだけで 好き勝手に寄り道 道草をしながら 楽しく帰っていました。
近所のおばさんが 役者さんの頭にカツラをのせていて
「こんなとこで 仕事してはんにゃ」と思ったことを記憶しています。

町名遊びが 続いてしまいました。

太秦帷子ケ辻町 Uzumasaka Tabiranotsujicho

嵯峨近辺 未分類

もうそろそろ 多面体製作についての話を再開しようと思っているのですが
何を どう表現したらいいのか あれこれ思う日々です。
嵯峨近辺の地名のことで もう少し話をさせてください。

以前 帷子ノ辻を例にして読みかたの説明をしましたが
地図では 地名は漢字で表現されていて 読みが載っていないことが多いです。

google.com(米Google) で検索すると
アルファベット表示もつけられて 読みが分かって便利だと思い 最近使っていました。

でも 太秦帷子ケ辻町( うずまさ かたびらのつじちょう )を
英語では Uzumasaka Tabiranotsujicho と表記されています。

葛野西通 (かどのにしどおり) という道路があります。
日本の Google では読みが分かりませんが ストリートビュー
標識から確認できました。
米Google では Kuzunonishi Dori となっていました。
変換作業者が 自己判断でそう読んだのか 参照データがもともと間違っていたのか
単なるロボット翻訳なのか
信頼性に 問題があるように思えてきました。*注

とは言っても グーグルマップは おおいに利用させてもらっている必須アイテムです。
もっともっと斬新な機能を付加していってくれればなあと思っています。

*注 Kadononishi dori に 正しく変更されています。(2019年 4月 6日確認)

油掛地蔵

嵯峨近辺

下の画像は 峨天龍寺油掛町 にある 油掛地蔵さんの お堂 です。
近隣の人たちが集まる 集会所と一緒になった辻堂で
寛政10年(1798)銘で「右あたご 左こくうぞう」の道標があります。
石像は地蔵様と言っても 延慶3年(1310)の銘のある 阿弥陀如来像です。

ろうそく 線香 マッチは備えつけてあり
いつでも気軽に 手を合わせることができます。
お像に掛ける油は切らすこともなく
油を掛ける杓子の柄はべとべとと油がついていることもありません。

このあたりは地名でもわかるとおり 江戸時代は 天龍寺の管理下にあったところです。
そのため その影響がなくなる 明治になるまで 嵯峨の大きな祭の 嵯峨祭には
参加していない地区でした。
嵯峨釈迦堂門前 嵯峨大覚寺門前 などの地域は 大覚寺の影響を強く受けていました。

そして 天龍寺油掛町の東隣の 町名には 天龍寺が付かない 嵯峨中又町
南は 嵯峨折戸町 などとなって 前回お伝えした 下嵯峨地区 になります。
東に流れ南に曲がってゆく有栖川に沿って 嵯峨野地区と区別されます。
江戸時代には 天龍寺の影響を受けていましたが ずっと松尾大社の氏子地区です。

嵯峨祭を 歴史的研究の対象として本格的にとり上げている資料に乏しく
もどかしい思いをしていましたが 最近 (2008年) 嵯峨祭の歩み という書籍を
嵯峨にお住いの 古川 修さんが 出版されました。
とても 参考になります。

油掛け地蔵

下嵯峨と嵯峨野

嵯峨近辺

桜の季節になりました。下画像正面は嵐山です。
山肌に少し写っていますが左下の 中之島公園では桜が満開です。
下嵯峨のふじわら堤から 西方向の渡月橋を見ています。

嵯峨は上嵯峨と天龍寺の二つの地域に分けると理解しやすいです。
上嵯峨は室町時代まで 嵯峨一円に大きな力を持っていた大覚寺との
かかわりが多くあったところです。

天龍寺地区は言葉の示すとおり
南北朝以降 力を伸ばしてきた天龍寺が支配した地域で
嵯峨を南北に二分する新丸太町通りや下立売通りの南側に位置します。
今 最も観光客が多く集まる地域で 下画像の渡月橋から手前の右側方向です。

下嵯峨は この画像の反対側 東側にあり
三条通りをまたぐ 小さな地域で 昔は川端村と呼ばれていました。
その名のとおり 川に強く依存していたところです。

下嵯峨から 嵐山と反対方向の地区は 嵯峨ではもうなくなり
観光地とは全くと言っていいほど縁のない嵯峨野地区になります。
そしてその東が 太秦広隆寺や東映映画村のある 太秦地区です。

古くから下嵯峨は 丹波地方の材木を扱い 嵯峨の地とのつながりが薄く
大堰川の対岸にある松尾大社の氏子であり
愛宕や野宮の氏子が行う嵯峨祭にも参加していません。

土地の高さが他よりも低く洪水の影響が一番強いところでしたが
普段は 水不足の傾向にあり それに関して上流の村とのもめ事がよくあったそうです。

また 他の地域とは異なり 条里制の影響を受けていないようです。
嵯峨地域は 東西や南北の土地区画の方向が
16度ほど西に傾くという特徴が 平安時代からありました。
地図を見れば 今もそのような傾向が確認できます。

子供たちが通学する小学校の通学範囲 つまり学区制は
行政の都合と その地区の住人の繋がりが強く反映します。
そのため 生田(おいた)村と高田村 (この二村がのち嵯峨野村になる) と
川端村とが共同で 明治の初め頃 川端校として開校されました。
現在は紆余曲折を経て下嵯峨単独の嵐山小学校になっています。
明治22年には 嵯峨野村は 太秦村の一部となり
現在は分割され 嵯峨野小学校になっています。

実は 私は嵯峨野小学校に 四年生まで通学していました。
そんなこともあり 嵯峨野生まれの私としては 下嵯峨を話題にして
くどくどと 書いてしまいました。

ふじわら堤から三条通りを通って渡月橋
2017 4月13日 8:30a.m.


*ふじわら堤は 罧原堤(ふしはらつつみ)と公的に表記されていますが
嵐山学区郷土誌研究会発行の 郷土の今昔
ふじわらと発音することを肯定しています。

帷子ノ辻という地名があります。
かたびらのつじ と読みますが 同じ読みで 住所表記は帷子ケ辻です。

鹿が三匹来ています

Excel 嵯峨近辺 未分類

散歩や外出のときに気にして竹藪を覗くのですが
鹿さんあまり見ないな と思いながら目を向けると 三匹いました。

2017 3月24日 8:00a.m. google map→


はじめは藪のきわまで 一匹が来ていて
こちらを見てお辞儀をしているような 動きがありました。
もう一度 戻ってカメラを向ける頃には 遠くのほうにいて逃げる寸前でした。

早咲きの桜が 春の気分を誘ってくれています。

話題をもう一つ。
ラマヌジャンの 1729 についてのエクセルデータです。
言葉や単なる数式では 分かりにくく実感しにくいので
操作可能な式として 表しました。現象の確認がせいぜいですが。
ラマヌジャンの頭の中は どうなっていたのでしょう。
本当に 人間という生命体だったのか 不思議です。

a = 3/√7 1.13389341902768 ←入力可
b = 4/√7 1.51185789203691 ←入力可
(6*a^2 - 4*a*b + 4*b^2 )^3 = 10^3 1000
(3*b^2 + 5*a*b - 5*a^2 )^3 = 9^3 729
1729
(6*b^2 - 4*a*b + 4*a^2 )^3 = 12^3 1728
(3*a^2 + 5*a*b - 5*b^2 )^3 = 1^3 1
1729
10^3 + 9^3 = 12^3 + 1^3 = 1729
a = 3/√7 =3/SQRT(7) ←入力可
b = 4/√7 =4/SQRT(7) ←入力可
(6*a^2 - 4*a*b + 4*b^2 )^3 = =" "&10^(LOG10(C4)/3)&"^3" =(6*B1^2-4*B1*B2+4*B2^2)^3
(3*b^2 + 5*a*b - 5*a^2 )^3 = =" "&10^(LOG10(C5)/3)&"^3" =(3*B2^2+5*B1*B2-5*B1^2)^3
=SUM(C4:C5)
(6*b^2 - 4*a*b + 4*a^2 )^3 = =" "&10^(LOG10(C8)/3)&"^3" =(6*B2^2-4*B1*B2+4*B1^2)^3
(3*a^2 + 5*a*b - 5*b^2 )^3 = =" "&10^(LOG10(C9)/3)&"^3" =(3*B1^2+5*B1*B2-5*B2^2)^3
=SUM(C8:C9)
=IF(C6=C10,B4&" +"&B5&" ="&B8&" +"&B9&" = "&C6,"")

野宮問題

Excel 嵯峨近辺 未分類

前回 嵯峨を話題にしたキッカケに調べものをしていると
以前から思っていた野宮に対する疑問がとけました。

明治維新後の動乱で ひどい目に遭った 神社仏閣の代表として
野宮 南禅寺問題 と名付けて関心を持っていました。

古代の神社の様式を未だに伝える
由緒ある静粛な野宮に接して線路がひかれ
蒸気機関車がやかましく往来することがどうしてできたのか。

南禅寺の敷地に水路閣という煉瓦つくりの水路がドッカリ鎮座し
そして
琵琶湖疎水の水を 滝や渓流にした素晴らしい庭園を配し
お妾さんを囲っていたとの噂もある 邸宅のかずかず
どうしてできしまったのか。

南禅寺問題は 廃仏棄釈で文句は言えなかったからと
わりと簡単に解けましたが
明治維新後の神社は 不遇ではなかったはずだという疑問です。
調べもので分かったのは
その時の野宮は 村の管理下にある小さな ほこら でしかなく
神に仕える人たちは農業やほかの仕事で生計を立てていた程
神社の力はなかった。がその答えです。

明治32年に鉄道が通り 明治40年にやっと 野宮への援助が始まりました。

ご近所の天龍寺さんも 長州の本陣だったことで焼き討ちされたり
散々な目に遭って経営難になり
敷地内で風呂屋を経営していたとも聞いています。
でもそれに屈せず
今は 世界遺産に登録されている 素晴らしい寺院に復興しています。

話題をもう一つ。
ヘロンの開平方の エクセル版です。
本やインターネットを参照しながら
文字や数式からの説明を読んでいますが
なかなか理解しにくいものです。そこで エクセルで表現し
これを操作しながら 理解を深めてゆこうとしているところです。

√A ≒ 1/2*(a+A/a)		
A=	1000	
a=	   7	
		
 1/2*(a+A/a)	a         √A と a との差
74.92857143	7	     67.92857143
		
44.13730764	74.92857143	-30.79126379
33.39693882	44.13730764	-10.74036882
31.66990145	33.39693882	-1.727037365
31.62281166	31.66990145	-0.047089791
31.6227766	31.62281166	-3.50609E-05
31.6227766	31.6227766	-1.94369E-11
31.6227766	31.6227766	          0
色付けした全範囲を指定し 1 行目 A 列に copy and paste してください。
貼り付けのオプションは 貼り付け先の書式に合わせる(M)です。
√A ≒ 1/2*(a+A/a)
A=1000
a=7
1/2*(a+A/a) a√A と a との差
=1/2*(B6+B2/B6) =B3=A6-B6
=1/2*(B8+$B$2/B8)=A6=A8-B8
=1/2*(B9+$B$2/B9)=A8=A9-B9
9 行目の A 列から C 列 までを範囲指定し セルの右下にポインタを合わせ「+」を 16行ぐらいまでドラッグする [オートフィル]機能 を使ってください。 A= 1000 a= 7 のところが変更可能です。

嵯峨お松明式

嵯峨近辺

今日は 嵯峨の 釈迦堂で お松明(おたいまつ)があります。

下画面は 京都三大火祭りの一つとして
以前にもお伝えしたことのある 大たいまつの立ち上げ風景です。
釈迦堂 (清凉寺) の本殿から 仁王門方向を見ています。

釈迦堂お釈迦さんとも呼ばれたりして
地元の人は普段から 親しみをもって参拝に来られています。
そして 洛中洛外図の どの絵にも見ることができる古刹です。

2017 3月15日 10:00a.m.


今日は 無料公開で本殿に入ることができ 釈迦如来像も 拝してきました。
江戸時代 勧進のため このお釈迦さんの像は 江戸まで出張されたそうで
賽銭で傷ついた跡が お体にいくつも残っています。

下の画像は 三基ある松明の一つが燃えているところで
他の二基にはまだ火が入っていません。
少し雨も降っていますが 燃えにはあまり関係ないようです。

昔は この三つの松明の燃えつきる状態で
稲の収穫の吉凶を占ったこともあったようです。

早稲 中稲 晩稲 とそれぞれの松明に意味があり
早稲が一番大きく 7メートルぐらいの高さだそうです。
そして 順番に一基ずつ火を点けてゆきます。

以前は速やかに 三つの松明に火をつけようという感じでしたが
今は気にせずのんびりしているように見えます。
一基めの松明は もう真っ盛りに燃えています。

2017 3月15日 8:40p.m.


嵯峨の郷土史を 知るには 古老や保存会からの
知識を得るのが一番だと思います。

そのためには 地域の行事への積極的な参加が必要となります。
しがらみが苦手な私には とても無理ですが。

大雪です

嵯峨近辺

雪が 30cm ほど積もっています。
下の写真は 奥嵯峨鳥居本の伝統的建造物になっている つたや です。

ここは にぎやかな市街地からは 少しはなれた山沿いなので積雪は多めです。
でも正午を過ぎれば 道の雪はびしょびしょなシャーベットになって
まあまあ 支障なく通行できるのですが 今回は違います。
車や自転車での通行は困難になっています。

過去を振り返っても こんな雪は珍しいと思います。

これ幸いと
日曜なのに ひと気の少ない田舎の雪道を散策してやろうと
外に出て撮った写真の一枚です。

鳥居本 つたや 2017 1月15日 1:00 p.m.
PIC_0233

2017 元旦

嵯峨近辺 未分類

2017 元旦
明けましておめでとうございます。

除夜の鐘を撞くつもりで 昨夜も いつものお寺に行きました。
いつもの通りの時間に着いたのですが
108枚の整理カードは 既になくなっていました。
人が多く 洛外の ひなびたお寺ではもうなくなってきているようです。

初詣にも行ってきました。
暇をもてあますこともなく日々を送れていることに感謝し
今年も いいことがありますようにと
お願いをしてきました。のどかな朝を感じています。

野宮神社 8:20 a.m.
pic_0172

昨年の ブログでの年初の抱負 ( New Year’s resolution ) は
『 誰でも手軽に作れる多面体 をめざしてゆきます。』でした。

” 誰でも ” という言葉の意味の理解に混乱があり
筆の進みが 遅々とすることが多々ありました。

“教えて君” という言葉が使われているようですね。
教えて君 には 伝えきれていないとは思いますが
同好の士や 実際に多面体を作ってみようとしている人には
もうほとんど 私のわかっている
製作のコツをお伝えしえているかなと思っています。
説明のまずさや 表現間違いの存在の可能性は否めませんが。

今年も 思うことをつれづれと伝えてゆこうとしています。

モミジが色づいてきました

嵯峨近辺

愛宕街道の終点近くの 平野屋のあたりです。
完全にはまだ 紅葉していない 緑の葉が混じった枝を
光を透かして見るのも風情があります。

2016 11月18日 9:00am
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鹿が里におりてきています。

Excel 多面体 嵯峨近辺 諸量

住宅街に隣接する 近くの竹藪に 仔鹿が二匹 きていました。 

落柿舎というところの 近くです。 三匹できているときもありました。

なぜかいつも かのこ模様のからだをした 幼い鹿たちです。

嵯峨に来て 半世紀以上になりますが 鹿を見かけるようになったのは ここ数年です。

駆除 (いやな言葉です) する人が高齢になって とか

保護とのバランス維持に ぬかりがあったとか。

いつもだと 目と目とがあうと そわそわしだして

カメラを とってもどってくると もういないということが ほとんどでしたが

今回は なにごともなかったように いててくれました。

いつまでも このような関係が ずっと続きますように。

pic_2416

やっと 板棒で作る [ 3,5,3,5 ] の 試作品ができました。画像左です。

計算遊びも ほとほとに 本題に戻ろうかと思っています。

pic_2421

多面体の基本的諸量の 計算式表示が かろうじてできました。以下は Excel 用です。
稜寸は 1 として。 面積(S) 体積(V) が隠れていますが 色表示全範囲コピーで

頂芯寸( R) 面積 (S) 体積 (V)
01 [3,3,3] =SQRT(3/2)/2 =SQRT(3) =1/(6*SQRT(2))
02 [3,3,3,3] =1/SQRT(2) =2*SQRT(3) =SQRT(2)/3
03 [4,4,4] =SQRT(3)/2 =6 =1
04 [3,3,3,3,3] =1/2*SQRT(1/2*(5+SQRT(5))) =5*SQRT(3) =5/12*(3+SQRT(5))
05 [3,4,3,4] =1 =2*(3+SQRT(3)) =5*SQRT(2)/3
06 [3,6,6] =SQRT(11/2)/2 =7*SQRT(3) =23/(6*SQRT(2))
07 [3,3,3,3,4] =SQRT(-(21/(2*(-22+(566-42*SQRT(33))^(1/3)+(566+42*SQRT(33))^(1/3))))) =6+8*SQRT(3) =1/3*SQRT((203+613/3*(1+(19-3*SQRT(33))^(1/3)+(19+3*SQRT(33))^(1/3)))/(-62+35/3*(1+(19-3*SQRT(33))^(1/3)+(19+3*SQRT(33))^(1/3))))
08 [3,4,4,4] =1/SQRT(4-2/COS(1/2*ACOS(1/4*(2-SQRT(2))))^2) =2*(9+SQRT(3)) =4+10*SQRT(2)/3
09 [5,5,5] =1/2*SQRT(3/2*(3+SQRT(5))) =3*SQRT(5*(5+2*SQRT(5))) =1/4*(15+7*SQRT(5))
10 [4,6,6] =SQRT(5/2) =6+12*SQRT(3) =8*SQRT(2)
11 [3,5,3,5] =SQRT(1/2*(3+SQRT(5))) =SQRT(30*(10+3*SQRT(5)+SQRT(75+30*SQRT(5)))) =1/6*(45+17*SQRT(5))
12 [3,8,8] =1/2*SQRT(7+4*SQRT(2)) =2*(6+6*SQRT(2)+SQRT(3)) =7+14*SQRT(2)/3
13 [3,3,3,3,5] =1/12*SQRT(6*(27+7*SQRT(5)+(20448+9140*SQRT(5)-12*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3)+(20448+9140*SQRT(5)+12*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3))) =20*SQRT(3)+15/SQRT(5-2*SQRT(5)) =1/12*(20*SQRT(2*(19+7*SQRT(5)+2^(2/3)*(5112+2285*SQRT(5)-3*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3)+2^(2/3)*(5112+2285*SQRT(5)+3*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3)))+SQRT(6*(5+2*SQRT(5))*(75+23*SQRT(5)+5*2^(2/3)*(5112+2285*SQRT(5)-3*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3)+5*2^(2/3)*(5112+2285*SQRT(5)+3*SQRT(7137+3192*SQRT(5)))^(1/3))))
14 [3,4,5,4] =1/4*(-1+SQRT(5))*SQRT(1/2*(53+23*SQRT(5))) =30+SQRT(30*(10+3*SQRT(5)+SQRT(75+30*SQRT(5)))) =20+29*SQRT(5)/3
15 [4,6,8] =1/2*SQRT(13+6*SQRT(2)) =12*(2+SQRT(2)+SQRT(3)) =22+14*SQRT(2)
16 [5,6,6] =1/2*SQRT(1/2*(29+9*SQRT(5))) =3*SQRT(5*(65+2*SQRT(5)+4*SQRT(75+30*SQRT(5)))) =1/4*(125+43*SQRT(5))
17 [3,10,10] =1/2*SQRT(1/2*(37+15*SQRT(5))) =5*(SQRT(3)+6*SQRT(5+2*SQRT(5))) =5/12*(99+47*SQRT(5))
18 [4,6,10] =1/2*SQRT(31+12*SQRT(5)) =30*(1+SQRT(2*(4+SQRT(5)+SQRT(15+6*SQRT(5))))) =95+50*SQRT(5)
  

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